« 幼児虐待の本当の姿を知ることが最優先課題 | トップページ | なぜ幼児虐待が起こるか 考えてみる  »

2011/03/05

幼児期から言葉による虐待を受けた妻

幼児期から言葉による虐待を受け続けた私の妻 
『養育者により加えられた行為により、極端な心理的外傷を受け、児童に不安・脅え、うつ状態、凍りつくような無感動や無反応、強い攻撃性、習慣異常等の日常生活に支障をきたす精神状態が生じた状態 』
(大阪府児童虐待調査研究会)
(
本来頼るべき相手からの虐待だから、発達の初期段階で大きな人間不信と言うハンディキャップを背負い込んでしまうのとになる。成人しても、心理的・情緒的問題を引きずって、大人としてどう行動していくかと言うモデルのないまま生きていくことになる。
(メルク家庭医学)

『私の妻が受けた言葉による虐待 心理的虐待』
------妻のメモ書きからの抜粋-------
「普通、子供であれば将来の夢は突拍子もないことも望むだろう。幼稚園に通っていたころ将来の夢を書くよう言われた。すでに何も望む権利すらないと思っていた私はありきたりに「花屋さん」と書いた。望むものなどもう何もなくなっていたし、「将来」「夢」「希望」など私の心には存在しないもの、想像もできないほど追い詰められていた。」
「真っ暗な海に放り出されたような気分で思考の自由もなく人形のように生きていた。
秘密裏に行われた虐待では小さな子供に防ぐことも逃げることもできなかった。最大の理由は母親が首謀者であったことだった。実の母親である。」
「母は、自分の裕福で派手な生活を農家出身で公務員の兄弟たちに指摘されたくないために私をいけにえとして差し出した。これが虐待の始まりだった。
外傷はつけない。露見する可能性があるから。精神面を集中的に破壊していった。父親に告げ口されまいと母親は私を常に監視し、父から遠ざけた。父は死ぬまでこの事実を知ることはなかった。知っていたらどんな風に反応しただろう。わからないけれど。」
------------------------------------

[ 虐待の首謀者 母親の言葉 (小学校低学年の頃) ]
小学校低学年の授業の最中に教室外の廊下から教室に入りながら大声で何回か娘の姓名を叫び、
「このばかむすめ、なにをしている」
とこれも繰り返し叫んだ。
理由はたまたま忘れ物が続いただけの事。この日のこの事件の後は、学童の冷ややかな、あざけるような目、からかいは日常的,数名の教員も教室内での暴行行為を含む公然とした「いじめ」をはじめる様になった。

学童の父母や知り合いと出会うたびのように
「この子は金遣いが荒くて」
「高いものばかりねだるので困る」「買いスケベなんだよ」
などまったく事実無根のことばかり言いふらし、彼女の信用を下げ、子供たちにもつきあわせないよう親たちがしつけるようにはかった。(加害者による虐待環境づくり)

「女の子にいくら金をかけても無駄」
母親は叔母や他の人たちにいつもこう言っていた。・

[ 加害者の実行主犯の学校長の主な暴言 ]5才で祖父が亡くなると、母方の長兄が中心となり親族会議と称してたびたび言葉による虐待を重ねた。

「お前の家そのものが悪なんだ」
「お前の存在そのものが悪なんだ」
「お前みたいな馬鹿は生きている価値が無い さっさと死ね」
「何の能力も無い馬鹿娘、早く死ね」

などと大声で叱責罵倒を繰り返した。こんな『存在否定』の言葉を繰り返された。
真っ赤な顔でつばを飛ばしての罵倒や怒声。
また時に、皮肉・揶揄、頭から馬鹿にした言葉
「お前にはできるはずがないよな」など

言葉による暴力の形を分類すると7つに分けられるが、妻の受けたそれを観ると、
・『言葉の暴力verball assaulting 子どもの自尊心を傷つける言葉の暴力』
 中でも校長は、まるで鬼のような形相、眼も見開き真っ赤な顔で泡を吹き、つばを飛ばし大声で怒鳴りまくる。 とまらない。完全に普段と違ってしまう。異様だった。
・『無視ignoring 子どもにとって必要な心理的な刺激や反応を与えないこと』
・『拒否rejecting 子どもを心理的に拒否し、その価値を否定すること』
・『恐怖を与えるterrorizing 子どもを脅すなどして恐怖を与えること』
などを利用して、高圧的な態度と、『強制』『圧迫』『反復』なども加わり、囲い込んで閉鎖的環境の中て家事ロボットとしてあつかわれた。
高卒後、進学の自由などまったく与えられず、家事に支障のない専門学校に放り込まれた。

「私は『生きるなら自分の自由はなく家のために働く』かそうでなければ『死ぬ』かのいずれかの選択しかないものと思い込まされてきた。『生きているなら家事をしていろ』と何度も何度も繰り返し頭に刷り込まれたのでそれしか選択肢はなく選べないと思っていた」

私(夫)と出会うまでの18年間は、家の中にも学校、周辺社会にも、誰一人として妻の味方も守る人もいないまったくの『孤立させられた』世界で、ただ動物と話すことだけが慰めという生活を強いられていた。
この後、。弟の毎日の暴力。母親は高額の生命保険を妻にかけ、不慮の事故が起こった際の換金に備えていた。
あまりに苛酷な環境と虐待も限界と感じ、私の家に避難させて、彼女は生まれてはじめて『安心して眠ることのしあわせ』を感じたといっている。
逃げ出して以後も母親とその兄弟たちは、金銭的打撃なども加え私たちの生活と資産を奪い、母親と弟は十数年行方不明。伯父・伯母たちとその家族は、私たち夫婦だけとは接触をかたくなに避ける姿勢。

« 幼児虐待の本当の姿を知ることが最優先課題 | トップページ | なぜ幼児虐待が起こるか 考えてみる  »

幼児期の精神的虐待」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/564718/51034225

この記事へのトラックバック一覧です: 幼児期から言葉による虐待を受けた妻:

« 幼児虐待の本当の姿を知ることが最優先課題 | トップページ | なぜ幼児虐待が起こるか 考えてみる  »

2014年12月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

私たちがずっと大切にしていきたいもの

  • 《 仲良くなった地方の酒屋 》
     インターネット上で見つけその品揃えが気になって連絡して親しくなった とても大切な友 店に私からのプレゼントしたテッセンとバラがと咲いているそうです
  • 《 とり手羽先 》
     焼きそばの話の六本木支店の鳥の手羽先 ただしランチタイムのみ利用 金欠時代
  • 《 中華やきそば 》
     いまはもうなくなってしまった銀座の汚いけれどうまい中華の名店 店主の事 そして絶品のあんかけ具合 あのあんかけ焼きそばはあそこしか出来ないものだった
  • 《 抹茶 》
     決めた店に頼むいくつかの抹茶 わたしたちの身体と心のために
  • 《 古書店街の思い出 》
     ほとんど毎日歩き回っていた街、飲み屋、喫茶店
  • 《 妻が見つけ選んだ美味しいもの 》
    いつの間にか教えたわたしよりも食べ物を選ぶのがうまくなってしまった 値段は安くても美味しいものをみつける楽しみ
  • 《 青山紀ノ国屋 》
     最近紀ノ国屋に出かけられないのが哀しい。小学生の頃から好きで通っている店。 紀ノ国屋ロゴ入りの袋の販売が主ではありません。 高級品ばかりではない。ここのパンは値打ち物。いつまでもがんばっている食品スーパー。一番好きな店。 ただ、最近若いスタッフの企画には良い意味の紀ノ国屋らしさが感じられずさびしい限り。
  • 《 グレン・グールドの音楽の世界 》
     どんなに辛かったときも静けさを感じられる彼の音楽に救われたように感じています。